想いは具現化する。
志を持って念ずれば花開く。
こんな言葉に勇気をもらう。
モノづくりをしていると、頭の中が真っ白になる時がある。
無理矢理、思考にスイッチを入れる。
ところが思考に反して、想いは加速してスピードを上げ、心の中のモヤモヤしたモノが、幾つも幾つも重なっていく。
想像が思考を追い越す。
途端、想像の塊が摩天楼のように、無限に積み上がっていく。
アレをしてコレをして、あーやってこーやって…。
そうじゃない。
重なる前に一つ。
それができたらまた一つ。
一つのものを時間を掛けて、カタチに変えていいんじゃないかと自分に問いかける。
元々、恵まれた才能は持っていないから。
限られた時間。
個々に与えられた時間は、等しくは無い。
製作に行き詰まると、羨ましさや妬みが心に湧き上がる。
才能溢れ、個性を発揮する人たちは、皆、刹那の瞬間に沢山の素晴らしいモノを生み出しているんだろうなと。
いいや、そんなはずはない。
納得いくものがたった一つでもできたら、こんな気持ちは無くなってしまうのかな。
納得いくもの=妥協点?
ゴールなんて無い。
作ることに対してのゴールは自らの評価。
世間の評価に囚われて作っていれば、
ほんとうに作りたいものは遠い所へ離れていく。
世に広く迎合される事が評価されることだなんて思わない。
自分の内なるものに向き合い、それがやがていつかは大衆に、自然な事のように受け容れられる。
眠りの中では思考は無限に具現化する。
だから眠りにつく時は少しニヤッとすることもある。
夢の中で作りたいモノに出会えるから。
才能だって、持ち合わせてこなかった。
ただ、今の世の中に生きる、1人の人としてモノを作る。
売れるものを作る、世の為広く受け入れられるものを作る。
社会貢献、良心的で経済格差が有っても誰もが等しく持ち合えるモノ。
世の中の為には、そこを目指すのが使命の一つでは無いのか。
社会の常。
より良いもの。より手に入れ易いもの。
…………………………。
じゃあ自分の擦り合わせる部分はどこ?
じゃあ自分はいま、何をやろうとしてる?
思考と表現の乖離を感じる。
しかし今はただ、見えない先に身を置かず少し先に、その上に身を置こう。
すべてのモノづくりに終わりはなく、どこかで繋がり、またはじめる。
自分を否定せず、受け入れ、また、心の中にある見えないカタチを探そう。
終わりのない道がどこまでも続く。